24h

Reverb/GRAPEVINE

 

 

 

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父が住まう実家にいる飼い猫コロが昨日お昼頃、実家にて亡くなった。

 

わたしが14歳、中学2年生のときに実家に突然連れてきた猫だ。

 

20年以上、猫として生を受け、その生涯に終幕を迎えたかたちになる。

 

 

昨日朝、仕事に出かける父を、いつもは呼び止めなどしないのにニャンニャン鳴いて、玄関のドアに居座っていたらしい。

 

仕事から父が帰宅すると姿がなく、

2階のわたしの部屋の二段ベッドの上段で固くなって息を引き取っていた、ということだった。

 

 

 

父が先ほど泣きながらわたしに電話で報せてくれた。

 

 

 

わたしの実家にはかつて猫が2匹いた。

 

キジトラのコロと三毛猫のネロだ。

 

2匹は歳が離れていたせいもあってか、あまり仲が良くなかった。

 

 

ネロは膵臓の病気で排泄、食事が難しくなり、異変を察知した母が病院に連れて行き、短期で入院をして、もう長くない、と医師から診断を受けて12月31日。年を越えることなく自宅のリビングにて、息を引き取った。

 

 

わたしのことを一番信頼して懐いてくれていた猫だった。

自宅にて看取るとき、わたしが少し居眠りをしてしまったそのとき、ネロは亡くなった。

 

不良少女で家に帰らなかったわたしは、ネロが2階のわたしの部屋の出窓から、わたしの帰りをいつも待ち望んでいてくれたことを、それでも、門をくぐってときたま帰宅するわたしを迎えてくれていた愛情を想って、とてもショックだった。

 

なぜ、家に帰らなかったのか?

 

なんども自分に問いただして後悔した。

 

今でもなぜ、家に帰らなかったのか?

 

自分に問いただしては揺れる。

 

 

 

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コロはネロと性格が真反対で、鈍臭い箱入り娘な猫だった。

リビングのドアを開けることが出来なくて、ニャアニャア鳴いては、俊敏で要領の良いネロに扉を開けてもらっていた。

 

わたしが実家を出てからは、

父はコロと触れ合う時間がとても長かった。

 

最近は毎朝、父に足湯(!)をせがむらしかった。父は洗面器にお湯を張って、風呂場の脱衣所スペースに差し出してあげていたのだという。前脚をお湯に浸して、しばらくするとそこらじゅうに脚を蹴るようにして水を散らす。、ソファに移動して手脚を舐めて掃除するのが日課となっていたらしい。

 

写真を撮っても、成猫になっておばあちゃんになってからも、どこかあどけなさと仔猫な表情の抜けないネコだった。

 

自宅からコロが出たことは数えるほどしかない。

 

 

完全なる箱入り娘ならぬ、箱入り猫、状態だった。

 

 

 

コロの想い出がたくさんあってとてもつらい。

 

それが過ぎ去ってしまうもの、の一部分になってしまうことがわたしはとてもこわい。

 

だから、忘れないように、

しっかりと明日弔いをして。

 

しっかり、ここに書いておこうとおもう。

 

 

とてもとても、長い時間を生きたネコだ。

動物はよく、みている。良いところも悪いところも。

動物はよく、知っている。

 

自分にとってそのひとがどんなひとか。

素早く本能で察知して、よくよく、知っている。

 

 

昨日朝、父が出掛ける際も、

行かないで。と引き留めたわけじゃなくて、いちばんコロに寄り添ってくれた父に、お別れを告げていた、んだって、母は言った。

 

わたしも、そう思う。

コロは悲しい寂しい侘しい、いきものだった訳じゃない。

そうではない。

 

 

しあわせだったと、実家を勝手に出て行ったわたしが言うのは無責任だとおもう。

しあわせに、父がしてくれていた晩年だったのではないかなとおもう。

 

 

 

父はショックを受けていたし、それでも弔いをしてやりたいという気持ちが勝り、家に連れてきたわたしにいちばんに電話で報せてくれた。

 

 

とっても、とてもびっくりした。

 

 

昨日のお昼は晴天で春晴れで、ひなたぼっこには最適な日。

さす陽射しに、ひさしぶりに暖かさや温もりを、感じられた日だった。

 

二段ベッドの上段で、

ひなたぼっこをするのがコロの習慣で。

 

それをすることが叶うようになった日、

きっと、安堵のなかでコロはその生涯を終えたんだと想像した。

 

 

 

コロは東京の大田区に住まうカップルが、自転車カゴに捨てられていたところを救出して飼っていたネコだった。

ネットの掲示板に、事情があって飼い続ける事が難しくなり、引き取り手を探している、。という記事をわたしは14歳のときに見つけ、連絡を取り、親の承諾なしで勝手に引き取ってきたネコだ。

 

火葬車の手配を明日3/12午後に業者さんに電話で頼んだ。

 

花束を花屋さんで作ってもらった。

色とりどりな花束に仕上げてもらった。

コロが最期まで仔猫で、可愛くて、華やかに家族みんなのだいすきな仔でいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

3/12

コロにお別れをした。

冷たくなったふさふさの体を撫でる。

 

重みは、言葉にできないししようがない。

 

妹と父とわたしで、代わる代わる、骨を拾って骨壷におさめた。

 

 

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父と妹とわたしで食事をした。

父はお葬式のあとだから、食事に行くか。

と言ってくれたけど、

コロのことが話題になる時間は本当に短かった。

 

まだ、気持ちの整理が付かない。永遠に、答えのない手答えだけが、心の大事な器官の近くに大きく穴を開けて待ち構えているようだった。

スースーするような、ヒリ付いた、過敏な、空気を産み出すのには事欠かず、常にそれは産み出されて、わたしの感情の中に居座り続ける。

 

 

昨晩、夜半過ぎ

あすにコロのお葬式を控えた晩。

わたしは早めに床についた。

 

いやいやをして、脚をバタつかせて泣いた。

 

 

いま、生きているみんな、万物に死は訪れる。

こんなわたしにすら、やってくる。

 

 

それがおのおの、いつかなんて誰にもわからない。

でも、必ずやってくる。

生きていれば、かならずだ。

 

 

それが嫌だった。

ただの駄々っ子だ。

その現実が、とてつもなく嫌だと感じた。

 

 

イヤだーーーー!!!!!って泣いた。

いま関わっている、総ての大事な人たちの顔が浮かんで消えて、浮かぶたびに涙があふれてきた。

いやだいやだいやだいやだいやだいやだ。

メンヘラだと言われようが、堕ちてると形容されようが、嫌なものはイヤだ、とおもえた。

 

 

 

そして、いつのまにか寝ていた。

 

 

 

まるで子供だ。

 

 

 

 

こんなに泣いたのは、本当に久しぶりだった。

 

一人部屋で寝っ転がったまま泣き続け、脚をバタつかせて暴れ、寝落ちした。

 

 

 

父。母。妹。親戚。友達。恩師。上司。職場のみんな。通り過ぎていったけど、わたしに助言をくれた人。

 

もう、何がなんだか収集も判断も付かなくなっていた。

 

 

 

コロは、本当に

しあわせだって、??

わたしが連れてきたのに。

ろくに世話もせずに、??

家にも帰らずに、??

 

溢れ出すと、止まらない。

 

 

わたしはわたしを抱えてあしたも息をする。

確実に"死"に向かっていき、

いつかは向き合うときが来る。

 

 

 

整理なんてつかないままで良いのだと思う。

正解なんてわからないままが正論だと思う。

誰かに合わせる日が来たらそれこそ終わり、だと思う。

 

だから散らかしたまま、明日に行く。

コロのこと、ちゃんと持っていく。

 

 

ありがとう、って純粋に、コロの為だけに、泣けなくて本当にごめん。

 

 

 

 

まだ、散らかっています。

このまま、わたしは息をします。

赦してほしいなんておもわない。

どんな罰も受ける覚悟で生きます。

 

 

わたしは死なない。

 

これはわたしの最後のエゴで砦です。

 

 

"死"という文字がクレヨンで壁いっぱいに書いてある部屋。

コロがそれでもそこを最期の場所に選んだのは、きっと。