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24h

社会の窓の中で事務昼は退屈すぎて、。

 

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『最低です。』

 

なのは、わたし自身。

 

窮屈すぎて、、。

 

やはり、わたしは、日本にいるべきじゃないのかな、なんて、毎朝電車に揺られておもいます。みんなそうなのかな。きっと。

人が居すぎる、と感じて、自分で自分の可能性を潰して、人を気にしてばかりいたらいつか、わたしはわたしでなくなる気がする。

 

先月、クリープハイプのギターボーカル、尾崎世界観さんの小説、『祐介』を最後まで読みきりました。実は、渋谷のタワレコであったトーク&サイン会に、ちゃっかり参加してきたわたしは、ヴァイオレンスな小説を織り成す、ことばの旋律に、触発されて、普段、まったく、と言っていいほど、何かに憤怒したり、気持ちを荒立てたりしないのに、『祐介』を読んでいる最中は、ちょっとしたいつものイレギュラーに、心底、こころを振り回されてしまっていて、。つまり、まったく起動していなかった怒りという機関が、まだ油ものらないうちに、誤作動しまくってしまったのですね。

 

そこで少しだけ考えてみました。

 

わたしが普段、怒らないのにはきっとこういう訳がある。

(人は人に相対するとき、基本的には目の前の、自分に向き合ってくれているその人に最善を尽くす、距離感、関係、交わす言葉、仕草ひとつにしても、良好であるようにする。はず。、)

(それは、誰が、誰に対しても、そうである。はず。、)と。

では、ここで、自分に対し明らかなる『悪意』だけを、持ってして近づいてくる人というのが、存在したとする。

わたしはわたしの頭の中で、ハナっから、基本的にそんな悪意なんてイレギュラーは予想だにしない、それこそイレギュラーなので、いじわるなことをされても、言われても、その瞬間、それが暴言でもなければ、悪意だ、と気付かない。

うとい。トロい。後々になってから、一人でその場面を思い出しては、ジリジリ悔しがる。、同時に、激甘な考えは、警戒心も併せて、ゼロという数値を叩き出す始末なワケで。。

 

ここまで鑑みるに、

この社会をわたって生きていくには、わたしのオツムは危険すぎる。。。

甘アマです。

 

という、いつもの、自身で自信の骨を打ち砕く、安易な結論に落ち着いたのが思考。

これって、決して良い感慨を受けた、とは言い難いけれど、一概に、悪い感慨を受けたとも言い難い。乾ききった憤怒の感情に、ひさしぶりに染みて滲んだきもち。

 

そして、これらのきもちを短い言葉に集約して、ちゃんと段階を踏みつつ、主語、述語、文法、時間の間、etc...本にサインをもらう短い時間のあいだに、尾崎さんにお伝えしたかったのだけれど、時間を気にしては焦ってしまい、緊張もあってか、うまく言葉にして伝えきれなかった。

というのが、7月のわたしの思い出すと顔が熱くなる、やりきれないできごと記録に残された事象でした。

覚えているのは、『良い触発をありがとうございます。』という言葉を発したことぐらいでした。情けなや。

 

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今日は一日中、クリープハイプの曲を聴いていたので、頑張って長々、書いてみました。

おやすみなさい。