母が作ってくれたおしるこは、わたしの原点だなと思います。
わたしは幼いころお雑煮とおしるこの、名前と実態の区別がつかなくて、母が『お雑煮、作るけど食べる?』と言ってくれたのに対し、おしるこ、を思い浮かべ、一人、『あんこのいっぱい入っている、あまーいお餅が食べれるんだ!』と、喜びいさんで二つ返事で『食べるーーー!!!』と、返しました。
心待ちにして、お雑煮、お雑煮、と騒ぎ、数十分後。
実際、食卓に上がったのはお餅の浮かんだ、透明なスープで、母の粋な計らいにより、桜の花のカタチにくりぬかれたニンジンや、鶏肉が入っていました。無論、わたしが想像していたものとは、まったく違うお料理で、わたしは慌てふためきながらも母に気を遣い、喜んでそれをいただきました。事実、とても美味しかったのを覚えています。
今なら母に『あの時は、おしることお雑煮の区別がついていなかったんだよー。』と、笑って話せます。
そんな話をしながらこの間、作ってもらったおしるこは、絶品でした。
わたしは、もっと、会話や意思疎通のための『言葉』をたくさん、知りたいです。今の自分の気持ちにしっくりくる言葉を探し当てたいし、伝えたい。今日は、そう思う場面の多い日でした。本を読むことが好きだったはずなのに、近年、まったくもって活字離れした生活を送っていて、去年読んだ本は、クリープハイプの尾崎世界観さんの『祐介』のみ、です。スマートフォンで活字を消化するのではなくて、もっと本という媒体に触れたい。実はVivienne Westwoodのヒストリー本や、ギターウルフのセージさんの自伝を読みかけているので、そこからまず、始めたいと思います。
嬉しいことや、悲しいことが目白押しな1日で少しばかり、疲れてしまいました。
今日は早く就寝します。
おやすみなさい。